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親も一年生であり、立派に育てるのに一生懸命。未熟なのにどうして完璧な親を求めていたんだろうと反省しました。自分も完璧ではないのに相手(パートナー)にもいつの間にか完璧を求めていました。恥ずかしいです。
「子供の幸せが親の幸せ」「子供が存在してくれるだけで親は生きる喜び」・・・親はの愛は偉大だなあと思います。本当に私が産まれた瞬間から愛情をたくさん注いでくれていたんだなと思えました。そう思えると、今まで厳しかった両親への思いが感謝になれます。私が大人になっても親はいつまでも子供の幸せを願っていると思えると、自分がとても安心でき、満たされた気持ちになれます。
愛情表現は人それぞれ違う・・・しっかり受け取れる器になりたいです。
幸せ以外に何も望まない・・・見返りを求めてしまう自分がまだいます。このポイントを講座でしっかり押さえて実践します! -
事前課題1の気付きとして、
「愛されている自信の無さや不安を
彼に埋めてもらえると期待して、
彼の言動に一喜一憂したり
自爆してしまっていた」
と書いたのですが、
さらに、
自分の欲しい言動だけを期待し受け取ろうとして、
その結果、
一喜一憂して自爆していたことに気付きました。相手の愛の発信方法を知ろうとしていたか、
自分が求めていた愛の形を知ろうとしていたか、
またそれを相手に伝えていたのか?
と自分に問いたとき、
ただ表面上だけで交わしていたから、
いくつも恋愛が破局したのだなと漸く理解できました。
今、別れた彼に感謝の気持ちでいっぱいです(^^) -
私は特に不自由なく、ひとりっ子で育ちました。
そのため、まわりには『大事なひとり娘で蝶よ花よと育てられたでしょう。』とか、『(進学や就職で親元を離れて)お父さんお母さん寂しがっているでしょう。』と言われます。でも、それを言われるたびに、『そんなことない!』と心の中で思っていました。母はいつも私の友達を誉めていて、私は誉められなかったという記憶があります。最近母方の祖母が亡くなったのですが、お葬式の最中もずっと母は祖父母が運営していた”子供の幸せを考える会”のせいで私は寂しかったし不幸だった!と言っていました。母が私ではない他の子を誉めるのは、母自身が自分の母親にされてきたと無意識に思っていたことと同じことを私にしてしまっていたのかなぁと思います。私はまだ独身ですが、ママになることがあれば、この連鎖を止めるためにもしっかりと、私は愛されているという潜在意識に書き換えたいと思います。愛は自分の望む形では来ない。私は今ここでつまずいています^^; 彼に愛されているということを前提にお付き合いはできるようになったのですが、なんで愛されてるはずなのにこんなことするんだろう??となっています笑 こうしてもらえると嬉しいな♡と伝えたり、反対に相手は何に愛情を感じるか聞いたりしてもいいのですね!そのあたり、もっと詳しく知りたいです。
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今回の動画を見て色々な発見がありました。
私は、長女であった為兄弟の中でも1番きつく躾られていたと思います。
そのことがきっかけで、親に愛されていることは分かりましたがもっと自分を受け入れて欲しい。という気持ちが今でもあります。
「親も未完成、親は毎年一年生。」という言葉を聞いて私は勝手に親を完璧な人であると錯覚していました。よくよく考えると、私を育てるのが親にとって1年生でありとても不安だったのでは無いかな。と考えられるようになりました。
「愛は自分が望む形ではこない。自分が求める愛情表現を知り相手に伝える。」
親以外にも愛情を一杯もらっているのに自分が求めている愛情じゃ無いと跳ね返している自分に気がつきました。
自身で何が自分が求めている愛情なのかをまず知ることから始めようと思います。 -
相手にどうしてもらえたら自分は嬉しいか、言ったほうが良いのですね!言わなくても気付いて欲しいのと、言うことでDemandingな女に思われるのでは?と思っていました。
愛の形は自分の思う形ではやって来ないのですね。
彼から「何回も(私のことを)好きって言った」と言われたのですが記憶になく、私が思う形とは違ったのでザル状態で受け取れなかったんだなと分かりました。 -
親との関係性を振り返り、愛の循環が滞っていたことかま浮き彫りになって自覚をしました。
「親も未完成」であるのに、
私自身が親の愛の発信を受け取れていないこと。
そして、それはパートナーシップにも投影されること。小さい頃から、親の正しい道と言われる通りに歩み、
ちょっとでも違うことを希望しようものなら怒られていました。
それが窮屈で仕方なく、子供を自分のいいなりにして、カゴの中に留めておきたいだけだろうと思っていたのですが…それも「愛」だったのだな。。。
とシミジミ思います。
私を愛してくれているから、
私が間違えたり失敗したり遠回りすることを、
出来るだけ避けるように守ってくれていたのだと。その親の発信を私の当たり前で受けとめていたのでは、何も進まずこじれるだけ。
もし、私の当たり前を求めるなら、伝えていかなければならなかったのだと思います。そして、それは恋人に対しても…
ただそこにいてくれることが「愛」であることに感謝しなければいけないなと反省しました。
相手を知ってコミュニケーションをとることって、すごく興味深いです!
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私の母は体も弱く、精神的にも強くないので、いつもいっぱいっぱいでした。イライラしたり、ヒステリックになったりする母を見ていた私は、自分には子どもは育てられない。イライラして、当たったり、何かしてしまうのではないかとずっと感じていました。母のような母親ではなく、母親になるなら、完璧にやらないとダメなんだと思っていたのかもしれません。
確かに、私は母の顔色を伺うところはありましたが、母の愛は感じていたのに、それをちゃんと受け取れていなかったのかなと感じました。 -
愛を学ぶ事の土台に両親の愛を気づき、しっかり受け取る事が必要だと知りました。
全て愛からの発信なのに、自分が望んでる形では来ない事に苦しくなっていたんだと初めて知り驚きました。自分が望んでる形だけを受け取ろうとしていたんだと気づく事が出来ました。
また親には完全を求めていた事にも気づけました。自分自身が未完成にも関わらず、パートナーには完全を求めていた事もあったと思いました。
沢山の気づきと学びがありました。 -
親も未熟、未完成。これが凄く響きました。私は親に対して完璧を求めていたんだと気付きました。
親も親なりに愛していてくれたのかも?そう思えました。
2つ目の動画の子供さん達の言葉に涙が止まりませんでした。親として息子にもっとこうしてあげたいといつも反省していますが、この動画を見ていると、子供は親が頑張ってるとちゃんと見てくれているんだなぁと心が温かくなりました。
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親も毎年1年生。そんなこと当たり前なのに、未だに親に完璧を求めていたなと反省しました。
自分の望む形でなかったけれど、「あぁ、あれは親の愛だったのかもしれないなぁ」としみじみ感じました。
今の彼の言動も、私にも分かりやすい愛の発信もある一方で、「なんでそうするの!?」と思うことも多々ありましたが、それもきっと彼なりの愛の発信だったんだろうなと感じました。2本目の動画を見て、子供がいない私も涙が出そうになりました。親は親なりにとても頑張って(時に頑張りすぎて)いて、でも子供は親の気持ち・本当の思いをちゃんと分かっているんだなと思いました。
(この動画の子供達がオトナだなぁと感じました。)気付き・学びがたくさんある動画でした。
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親子のお話を聞くと、子育てをはじめたばかりの私はつい、自分と息子を当てはめて、うんうんとうなずいてしまいました。
次に、それを自分と両親(特に母)で考えてみると、なるほどそうなのかもしれない、と思いました。そして、無償の愛がパートナーにできているかという部分はとても耳が痛かったです。息子にはできるのに、夫にはできない。条件ばかり求めてしまっています。
相手の幸せ以外は何も望まない「能力」が必要なのですね。その能力がつけられるよう講座を頑張りたいと思いました。 -
・「親も未熟。親として未完成。毎年一年生」
自分の年齢で親はもう小学生の私の親になっていたのかと思うと驚きで、その親には完璧を求めるなんて酷いですね。
私は父からの愛情をあまり感じたことがないのですが、父も幼い頃に父親を亡くしており、父親という存在にどうようにしたらなれるのかよくわかってなかったのかもしれません。
・「誰もが同じ愛の表現方法ではない」
パートナーの愛の発信方法を知る為に、相手に聞くって発想が今までなかったです。知って理解すれば、もっとボウルですくえるようになれるかと思いました。
・「無償の愛」
過去の彼に対して、無償の愛を持てていただろうか…いつも「結婚してくれるのだろうか」という条件を突きつけていた気がします。「相手が幸せならそれで良い」なんて考えにはなってなかった。。だから愛を育めなかったんだなと反省です。 -
これまでずっと、条件付きの愛ばかりでした。好いてくれているから好き、というように…。
愛に飢えているのか、好かれることにこだわりすぎてしまっていたように思います。
常に見返りを求めていて、本当の愛ではなかったなと。。自分の中の課題を解消しない限り、問題はずっと起こり続けるのだとわかりました。 -
自分のものさしで愛情を計って、相手からの愛をただ私が受け取れていなかっただけなんですね。
それなのに愛が少ないと不満を持ち、いじけていた私は、自分の理想とする形の愛が来た時も、しっかり嬉しいってことを表現できていませんでした。
なんてひねくれた性格なんでしょう…情け無いです。「相手が幸せだったら自分も幸せ」
これは子供に対しては思えても、自分と同じ大人である男性には思えてなかったなと思うと、私は本物の愛ではなく、条件付きの愛しか出せてなかったんですね。これじゃ、愛を循環させて育むなんてとても無理ですよね。気付けて良かったです。世には愛について気付けてない女性が多いんじゃないかな?って思うのは私だけでしょうか。
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「理想の母親」は、涙なくては見れませんでした。
私の場合、子どもがおり、もう完全に母目線で、自分が子供時代のこと、あまり覚えていないのですが。
つい2,3年前、母から保育園時代の連絡帳をもらい中を読むと
母は子供の私の困った部分や出来ない部分を一生けん命保育士さんに相談し、保育士さんは、なんと私をかばうのではなく、母をいっぱいかばっていて、本人としては「なんじゃこりゃ」と幼い自分が可哀そうに思えた記憶があります。
でも、未熟な母が一生けん命、母になろうとしていたんだなと思えました。母もまだまだ専業主婦が多い中でキャリアウーマンだったから、大変だったんでしょうね。ありがとうございました。
2017年8月1日 11:41 PM